年中行事


小正月(こしょうがつ)の行事

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団子(だんご)さし

今も伝えられ行なわれている行事の一つです。

朔(ついたち)正月の元旦を中心とした正月(=大正月)に対して十五日を中心とした正月を小正月と呼んでいます。この小正月の呼び名は、その他に「子持ちの年とり=こもちの年とり」「あとの正月」「サイト焼き」「ダンゴさし」「女の年とり」などとも呼ばれています。

「コモチ=小望(こもち)」とは、望月(もちつき)つまり旧暦(きゅうれき)十五日の夜の月の満ち足りた前日なので、十四日夜をさすそうです。 昔は、十五日の朝に餅をつき、重ね餅(=鳥追い餅と呼ぶ家もある)も作ったそうです。その後で、団子さしで使うだんご用として、「くだけ米」(粟を入れる家もある)の餅をつき、これを山から取って来た「みず木=だんごの木」にさします。そこにさらに、ふなせんべいのおだいこくさま、おえびすさま、千両箱、宝船、まゆ玉、打ち出の小槌(こづち)、鯛(たい)、俵(たわら)、大判・小判などをつりさげ、茶の間の中柱にゆわえて飾ります。

みず木は赤味(あかみ)を帯び、枝先が太くその先に新芽がついています。その芽を欠いてだんごをさします。これを、茶の間に飾ると赤い木の枝と、あざやかできれいな色とりどりのふなせんべいやだんごで、まるで花が咲いたように美しく感じられます。幼い子供たちはとても喜びます。

この団子さしのいわれについては、「豊作祈願(ほうさくきがん)」「一家繁栄(いっかはんえい)」「豊かな生活」の願いがこめられているそうです。

また宗教的(しゅうきょうてき)には、「弥勒(みろく)」という仏の世になると、道端(みちばた)の草木もこのように豊かにみのり、生活が楽になるというので、早くそのような世の来ることを、年始の願いとしたのが、この団子さしだとも伝えられています。 もち米のくだけ米を、お餅にして食べてもあまりおいしくないために、だんごにして団子さしで飾り、はずしただんごを昔はいろりのホドの火(オキ)を火箸(ひばし)でかきあげ、そこにだんごを並べて焼けるのを待って食べました。表面はこんがりと香ばしく、中はやわらかく子供はおやつなどに喜んで食べました。今は、油で揚(あ)げて砂糖をまぶして食べたりもします。あまくておいしいと、今の子供たちも喜んで食べます。

今は食べ物の豊かな時代です。でも昔は、農家の方が一生懸命つくられたお米を、たとえくだけたお米でも捨てることなくほんとうに大切に食べてきたことがわかります。昔の人々の知恵やその心を大切にして、これらの行事が色褪(あ)せることなく次の世代に受け継がれ伝えられたら素晴らしいと思います。


さいと焼き


平成14年1月、米沢市内における町内会主催のさいと焼きの様子        

今も伝えられ行なわれている行事の一つです。

正月十五日の夜に行なわれる火祭りのことで、置賜地方では主(おも)に、さいと焼き(さいど焼き、ヤハハエロなどとも呼ばれる)と呼ばれています。

この火祭りは、集団(地域や町内会)で行なうことが多く、子供たちが各家庭をまわり、取り払った正月の門松や注連飾(しめかざ)りをもらい集め、秋に刈(か)り干(ほ)しておいたワラやカヤなどの燃え草とともに焼くことが、中心となります。

「さいと」を作るのも、大人の指示で子供たちも手伝います。雪踏(ゆきふ)みをして広く場所作り、「さいと」の中心に門松を立ててそのまわりにワラ、カヤなどの燃え草を立てかけて、縄(なわ)などで束ねます。

いよいよ「さいと」に火が点(つ)けられると、燃え盛る火に向かい「ヤハハエロ」「ヤッハエロー」などと大声で唱(とな)えたり、この火で餅(もち)を焼いて食べると、かぜをひかないといわれるために、長い棒の先に餅をつるしたり、はさんだりして焼き、子供たちが焼き上がった餅を喜んで食べます。どちらかと言えば、子供たちが中心の行事です。

この「さいと」は、「斉燈=さいとう」とも書くそうです。正月の神の依代(よりしろ)である門松を大きな火で焼く行事をいいます。そうすることによって、神を迎え悪運や病魔(びょうま)を払(はら)い、幸運、健康、五穀豊穣(ごこくほうじょう)のご利益を求めようとした行事だそうです。