人々が染料としてきた植物

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紅花(べにばな)

キク科
学名 Carthamus tinctorius L
紅色・黄色(橙色・桃色)
使用部位 花びら=花弁

観光キャンペ−ン「紅花の山形路」で、また1992年(平成4年)開催の「べにばな国体」の名で親しまれている紅花は、1982年(昭和57年)山形県の県花に指定されました。

花の名前

ベニバナは、4月5〜20日頃に種をまくと7月2〜20日頃の土用までにアザミに似た直径約3cmほどの花を咲かせます。葉や花を束ねるように包んでいる苞(ほう)の部分に、硬いトゲがあって花びらを摘(つ)み取るのに指にトゲが刺さり苦労するので、朝露にぬれてトゲのまだ軟らかい早朝に摘みます。咲き始めはその名とはうらはらに鮮やかな黄色の花びらの下部が、次第に紅色をおびてきて収穫期を迎えます。最後は深紅色に染まります。このようなことから、「末摘む花」(すえつむはな)の雅名も、持ちます。また文献「本草和名」(ほんぞうわみょう)(918年)には、和名「久礼乃阿為」(くれのあい)・漢名「紅藍花」(こうらんか)・俗に「紅花」(こうか)の名を見ることができます。

伝来

紀元前2700〜2500年頃の、古代エジプトのピラミッドの中に納められていた、ファラオの遺体を包む布にすでに、紅花染めが用いられ、エジプトが原産地といわれるベニバナは、その後シルクロ−ドを通り、中国、高麗(こうらい=韓国)を経て飛鳥時代に仏教とともに日本へ渡来し、染料・化粧料・薬用として用いられ、王朝・貴族の優雅な文化が築き上げられました。

花弁の色素

ベニ(紅)を製造するには、摘み取った花びらをよくもんで水で洗い、水溶性の黄色色素成分サフラワ−イエロ−(Safflower Yellow)をのぞいてから、むしろ(=筵)の上で発酵させた後、さらにすりつぶして餅状にして乾燥させたものが、いわゆる「紅花餅=紅餅」で、これから紅色色素成分カルタミン(Carthamin)を抽出するのです。紅い色素は乾燥花びらから、わずかに0.2〜0.3%程しか得ることか出来ないために、昔も今も大変に高価なものと言えます。しかし、この紅い色素は、合成染料ではとうてい得る事の出来ないさまざまな色調を生み出してくれます。一片の花びらが生み出す紅の色が絹の染料として、また女性の口紅・ほお紅として、また食用色素として、数多くの人々を魅了し続けて今日まで賞用されてております。

置賜産の紅花と紅の道

古文書「邑鑑=むらかがみ」の中で、およそ1600年頃に現在の米沢市周辺・長井市周辺・白鷹町あたりでも盛んに特産物として紅花の栽培が行われいた様子を、うかがうことができます。紅花は高収入をもたらす特産品として保護奨励されて栽培が続けられ、最上紅花と共に羽州街道を馬車で河港の大石田まで陸送し、酒田まで川下げし、酒田から海船で敦賀へと、琵琶湖・大津を経て京都まで運ばれました。これが「紅の道」と呼ばれました。帰路には、京都や上方から盛んに物資が運ばれて、山形・谷地には紅花大尽と呼ばれる大商人が現れるほどの勢いでした。

こうして最上紅花(置賜産を含む)が、長きに渡り栽培されることになった要因としては、肥沃な盆地が多いこと、夏場は日中暑くて朝夕は涼しく、適度な降雨があり品質の良い紅花が栽培できたこと、安い労働力を豊富に得ることができたこと、栽培農家にとって現金収入の途絶える夏場に、すぐに換金できる作物であったことなどに加えて、置賜地方では、上杉鷹山公が米沢藩の御役作物として青苧・桑・漆・柿などと共に紅花の生産を奨励してきたことなどにより、全国的にも、量(山形県産=寛政年間に一時120tの収量あり。)・質ともに首位を占め、隆盛をきわめました。

しかし、明治時代には中国産の安い紅花が輸入(=食品着色料として清涼飲料水や菓子類に使用さてている。)されると、生産量も次第に減り、加えて合成染料の開発と共に、その姿はほとんど見られなくなりました。しかし、その伝統的な美しさを惜しむ人達の努力によって、昭和20年代後半に復活され、現在では山形市周辺を中心に栽培面積4ha・収穫量270kg(平成4年度調べ)が、切り花用・染料・化粧品用として栽培されています。(残念なことに置賜地方では、ほとんど栽培されていないのが現状です。)

生薬と種子油

紅花の花弁を圧搾(あっさく)して板状としたものをコウカと称し、生薬として日本薬局方にも記載され、漢方処方薬として配合剤(婦人用薬)などの原料に使われています。 また、紅花は日本においては、色素の抽出を主な目的として栽培されてきましたが、世界的には種子から油を取る目的で改良品種が栽培されてきており、現在もインド・アメリカ・中国などで大規模栽培が行われています。種子油(=紅花油・サフラワ−オイル)は、動脈硬化予防や老化防止に効果があるとされ、食用油としての人気が高く年々消費量も増大しています。


刈安(かりやす)

イネ科
黄色
使用部位

米沢市の東部に刈安の地名をもつ山村があります。刈安地区では、昔から刈安の群生を見ることができたそうです。刈安は、飛鳥時代から使われてきた古い染料で、推古天皇時代の冠位十二階制定の礼服冠を染色しています。当地方においても刈安は、上杉鷹山公時代より、糸染めに用いられてきました。


胡桃(くるみ)

茶色
使用部位 樹皮
他の利用法 食用(果実は丸く、肉質の外果皮と堅い内果皮に包まれている子葉の部分を食べます。)


黄蘗(きはだ・きわだ)

黄色
使用部位 樹皮
他の利用法 薬用(樹皮を漢方薬で黄柏といい、苦味があり、健胃薬として昔から現在にいたるまで用いられています)。家具・細工物(木材にはつやがあります。和紙の染料=黄蘗紙(虫害に強い。古くは写経などに使われた)。


藍(あい)

藍染め の のれん

これらは、藍で染めた昔の布団かわ(掛け布団用)を、のれんに作り直したものです。

本藍(ほんあい)染めの布が、ふとんの布地(ぬのじ)として用いられた大きな理由は、蚊(か)などの害虫を寄せ付けにくい効果があることを昔の人は経験で知っていたからです。昔はいろいろな仕事着として多くの人が身に付けていました。手っ甲(てっこう)や脚絆(きゃはん)などの手足を守る小物にいたるまで、さまざまな衣類に藍染めが使われていました。

これらの図柄(ずがら)は、宝尽し(たからづくし)文様(もんよう)です。

宝尽し文様とは、いろいろな縁起のよい宝物を並べた図柄のことです。昔から日本人に好まれてきた模様のひとつです。

この藍染め布には、打ち出の小槌(こづち)・丁字(ちょうじ)・金嚢(きんのう)・隠れ蓑(かくれみの)・隠れ笠(かくれがさ)・分銅(ふんどう)・巻物(まきもの)の図柄を見ることができます。

よく見ると、金嚢(きんのう)には、松竹も描かれています。そして家紋(かもん=家々で定める紋)も描かれています。

昔の人々は、一日の疲れをとる布団の模様にも、明日の幸せを祈りそして願って、このような模様を好んだことがわかります。

藍染め布

藍の絞(しぼ)り染め布

藍染め布をのれんに仕立てたもの

この藍染め布の模様は菊水文様(きくすいもんよう)です。

衣服,調度(ちょうど=日常使う手回りの道具や器具類、また小型の家具のこと),器物などの表面に装飾(そうしょく)された図形を文様・紋様・模様と言います。

中国河南省(かなんしょう)南部を流れる白河の支流を菊水と呼び、この川の崖(がけ)の上に咲く菊の花の露(つゆ)がしたたり落ち、それを飲んだ人がみんな長生きをしたという故事(こじ=昔から伝わって来ている、いわれのあることがら。)が、日本に伝わり、鎌倉時代から、長寿延命(ちょうじゅえんめい)を願う人々の間で、この文様がはやり始めたと言われています。

なにげなく見過ごしてしまいそうな模様の一つ一つにも、昔の人々のいろいろな願いが込められていることがわかります。


茜=あかね

茜の絞(しぼ)り染めのテーブルセンター


紫根=しこん


露草=つゆくさ


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仕事着

仕事の能率を上げ、汚れや危険を防ぐために着る衣服を、仕事着(しごとぎ)といいます。

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昔の洗剤

マメ科 サイカチ

第二次世界大戦中の石鹸の少なかったころに、豆果を石鹸の代用として、洗濯や洗髪に用いました。サイカチは山野や河原に自生しますが、栽培もされました。夏に淡黄緑色の小花を穂状につけ、豆果は刀形で多少ねじ曲がり長さ20センチを超えます。

また、若葉を食用にし、枝にあるトゲ・さや・根皮・花などは漢方薬に用いられます。

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昔の防虫剤

現在のように、ナフタリンなどの防虫剤のなかった昔は、虫除けの薬として「タバコの葉」「楠(クスノキ)の木片」を、箪笥(たんす)の中に入れて、衣服が虫から喰われるのを防ぎました。現在使われている樟脳(しょうのう)は、クスノキの木の木片を水蒸気蒸留して精製されたものであること、またタバコの葉はニコチンを含み、殺虫剤の原料として使われることからも、昔の人の経験的な知恵に感心させられます。 また加えて、昔は箪笥の中から衣類を出しては、年に何回も虫干しをして、虫害・カビ・湿気・ほこりから大切な衣類を守りました。

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